【自己紹介】貧乏フリーターからカフェオーナー・恐竜画家になったCAN(きゃん)の珍物語
恐竜白書へようこそ!
恐竜画家のCAN(キャン)です♪
このブログでは、
- キャンが経営するカフェ
“創作空間caféアトリエ”ができるまでのストーリー - カフェ開業について
- クラウドファンディングを活用する方法
- 恐竜画家活動
- 人生についての考え方
- 運命の出会い
などについて語りますヽ(*^^*)ノ
キャンの経歴についてはこちらにまとめています↓
この記事では、
自己紹介を兼ねてキャンの今までのストーリーを語りますヽ(=´▽`=)ノ
気になる項目があれば見て行ってください〜♪
幼少期から“不思議ちゃん”と言われる
幼少期、蟻を観察していた時、
『こんなにも小さい蟻にも
自分と同じように消化器官があって、
意識がある!』
ということに突然気づき、
なんでか超感動しました!
保育園や小学校では、昆虫観察に必死。
グラウンドで見つけた蟻の巣を掘り返す日々。
この頃に大体の昆虫には噛まれていますw
そして、いつからか“不思議系女子”に分類されるように。
地球が無くなることが心の支え
私の父は化学オタクで、地球科学や宇宙に関するウンチクを私に囁き続けました。
その結果出来上がったのが今のキャン(笑)
京都の青少年科学センターに何回も連れて行ってくれました。上の写真はその時の。
そんな父はある日、
“地球はいつか太陽の寿命とともに滅びる”
ということを教えてくれました。
幼少期、
キャンの家庭環境は複雑で辛い日々でした。
癇癪を起こして泣きわめき、怒鳴り散らす問題児。
人生の底辺を問われると迷わずこの時期だと言えるくらい。
死にたいと思ったとき私を支えていたのが、
地球がなくなるという事実でした。
『この悲しみも、辛い気持ちも、
いつか地球とともに無くなる・・・。
なら、今は頑張ろう。
いつか無くなるなら、どうせなら、
幸せになりたい!!!
自分のことは自分で幸せにするんだ!!!』
この時の強い思いが、
今の私の行動力に繋がっているのかも。
凹んでいる人を励そうと思って
これを言ったことがあるのですが、
私以外の人に効いたことはありませんw
画家の道を諦め、恐竜研究者を目指す
小学校卒業時の夢は 画家
中学校卒業時の夢は 絵本作家
高校卒業時の夢は 恐竜研究者
どうした?www って感じですよね(笑)
高校の頃は父の影響があって
物理化学地学が大好きな学生でした。
一方、絵も大好きで毎日描いていたので
進学先は京都芸大しか考えていませんでした。
なのですが、
たまたま図書館にテスト勉強しに行った時、
宇宙物理学の本が目に留まり、
そのまま自然科学コーナーに浸りました。
そして、たまたま横にあった
恐竜学の本を手に取りました。
するとそこには、幼少期に読んだ図鑑とは全く違った世界が広がっていました。
『すげーーーーー!!!おもろい!!!』
恐竜の多様性に驚きました。
20M以上のサイズの恐竜もいれば、
猫くらいのサイズもいる。
恐竜というカテゴリの中で、
ここまで多様に反映していたことを知り
単純にワクワクしました。
その日以来、
勉強の合間をぬって恐竜の学術書を読み漁り、
高3の頭まで芸大志望だったくせに超方向転換して信州大学理学部に入ることにしました(笑)
信州大学へ行ってからは、大自然の中で地球に関するあらゆる勉強ができて最高でした!
最終的に恐竜研究者は諦めましたが、
恐竜画家として今は活動できているので
全部繋がっていたようですね(*´∇`*)
恐竜沼への入り口はこんな感じでした(笑)
すっぴん喪女からの脱却
さてみなさん、リケジョってどんなイメージですか?
ナチュラルメイクのメガネ美女
的なイメージを想像していませんか?
正解はこちら↓
え?たたずまいがおばあちゃん?
うるさいわっ!www
残念ながら社会人一年目までこのビジュアルでした(笑)
服とメイクに興味ない・・・。
ストレスでお肌ブツブツ・・・。
そんな私が今の顔になったのは、
セレブになった実母と20年来に再開した時。
初対面の時は流石に言いづらかったのか、
3回目くらいにあったときに、
『あんた、そのままじゃやばいで』
ってガチトーンで言われましたw
そっからまずは服装改革(笑)
下着以外の服全部廃棄。
そして10万円分くらい服買ってもらいました。
その後母がやっているメイク講座に十数回通い・・・
(母はプロエステティシャン)
見事まあまあなOL顔になりましたw
(大手の商社で派遣社員をやっていた2015年の春)
顔がまともになってよかったことは、
覚えてもらえるようになったこと。
化粧できるようになって本当によかった(笑)
ちなみに、この期間に変わったのは顔だけではありません。
性格もまるっと変えました。
この変化は自分史の中で革命的な出来事でしたね。
20職業経験して社会人に向いていないことを悟る
(会社員時代にと撮った、たった1枚の写真(笑))
新卒で入った水処理の会社は、
初日で辞めたくなるも1年頑張りました。
辞めてから3年間は自分探しのフリーター期間となりました。
『自分にはなにが向いてるのか、
働きながら考えよう!!!』
いつかカフェを開業したかったので、飲食系をメインに数社掛け持ちで働きました。
カフェレストラン、日本食料亭、
バリカフェ、先斗町の川床居酒屋、
ホテルのキッチン、ホテルの宴会ホール、
携帯販売、ネット回線販売、
家電量販店での呼び込み、
街頭でのティッシュ・チラシ配布、
1日単発の軽作業バイト、
派遣社員3社、家庭教師、塾講師、
ネットワークビジネス、ガールズバー、
フルーツやお菓子を飛び込み販売する怪しいバイトなどなど。
社会的にネガティブな仕事も、お堅い仕事も、
とにかくがむしゃらに働きました。
ちょうどその頃借金作ってお金も無かったし、、
めっちゃ働いてわかったことは、
向いてる仕事なんてない!
ってこと。
言われたことを淡々とやることに
全く向いていなかった・・・。
かつ朝起きれないので、
社会に適合できませんでした・・・。
唯一楽しかったのはカフェで働いていたときくらい。
『こりゃ自分で何かせんといかん。
一生雇われの人生なんて無理じゃ!』
この頃から、うっすらとカフェ開業の夢が現実味をおびていきました。
ちなみに、カフェに行きまくっていた学生時代のブログはこちら
イラストレーターになった経緯
(過去の制作例、今は仕事受けていません。)
働きまくって疲弊し、
将来に悩みまくっていた2016年の3月。
知人に誘われて、日本橋のコスプレイベント
“ストフェス”にたまたま遊びに行きました。
この日たまたま出会った茶木(今は彼氏)に
『イラストでチラシを作って』と頼まれ、
絵で金もらえるんや!?!?
と舞い上がり、初めてイラストレーターという仕事を知りました。
絵で食っていけるなら最高やん!!!
朝も起きなくていいし!!!すごい!!!
イラストレーターになる!!!
というとても単純な動機(笑)
チラシを撒き、バリバリ営業した
待っていても仕事は降ってきません。
これもまたがむしゃらに、チラシを作って撒きました(笑)
京都・大阪の異業種交流会にひたすら足を運び、出会った人に
『イラストの仕事をください!!!』
と言って回りました。
そうすると本当に仕事がもらえました!!
そこそこの絵が描けたのもあるけど、あるクライアントさんからは
『必死さが伝わったから』
だと言われました(笑)
毎週異業種交流会に行くようになってから
3ヶ月くらい経ったころには、
月25万円くらいはイラストだけで稼げるようになりました。
イラストの仕事が苦痛になり辞めた
ただ、やっぱり雇われるのが嫌なように、
人に頼まれて何かするのがどうしてもできない性分なのです・・・。
好きで描いていた時はよかったのに、
だんだん絵仕事が嫌になりました。
そして、本気で“画家になりたい”
と思える出会いがあって、
今は自分の大好きな恐竜を描いています。
クラファンで100万円集めてカフェを開業
イラストレーターをやっていて思ったんです。
『絵を描く場所がない!』 と。
家だとYouTubeみてしまって集中できないし、
カフェだと人にチラ見されるのが何か嫌!
コワーキングは男性ばっかで何か嫌!高い!
カラオケは椅子低い!漫喫は暗い!
みたいな・・・(笑)
わがまま・・・(笑)
もっとこう
気軽に行けて、
安くて、
おしゃれで、
他の人も絵作業してて、
ご飯も美味しくて、
ドリンクも可愛くて、
しかも絵友達が作れる
夢のような空間が欲しい!
これがそのまま現・創作空間caféアトリエのコンセプトになりました(笑)
開業プロモーションのためにやった
クラウドファンディングは、
無理やり100万円達成までもっていったけど、
やって良かったです(*^^*)
そんなこんなで自分の理想のカフェ、
創作空間caféアトリエは2017年10月にオープンしました。
これについては今後まだまだ記事にしていきますよ!!!
最後に:今後の人生について
と、ここまで読んでいただいた方には
私キャンがどんな人か知っていただけたかと思います。
端的にいうと、日本のイラスト文化を持って、海外に出たい!
今の夢は、
- 世界中の自然史博物館に私の絵を飾ってもらうこと
- 日本のイラスト作家さんの作品を背負って海外で展示会ツアーをすること
これもすぐに叶うと思います‼️
どんどん叶えて、
どんどん宇宙規模な人生にしたいと思います。
是非一緒に、
楽しい人生を作り上げて行きたいので
これからも末長くよろしくお願いいたします!